2019年12月1日オープン 週末美容師始めました!

マリアージュヘアデザイン 丸山雅弘のプロフィール

丸山雅弘のプロフィール

 

当サイトをご覧いただきありがとうございます。

 

マリアージュヘアデザインのオーナー美容師。

 

丸山美容室 二代目、丸山 雅弘と申します。

 

昭和42年生まれ、美容師歴33年の現役美容師です。

 

簡単ですが自己紹介をさせていただきます。

 

2003年、横浜の港北ニュータウンで開業

 

5年の修業時代、共同経営、多店の経営管理職の経験を経て36歳で開業しました。

 

自分の店を持つことは目標の一つでしたので、今でも鮮明に覚えています。

 

自分の中でも勢いがありましたので、開業には不安感はありませんでした。

 

実は母親も美容師で、小さいころから自分の店を切り盛りしていたのを見ていたので、逆に「自分の店を持つのは当たり前」という感じでした。

 

 

起業は簡単、継続は大変

 

「見ると聞くとは大違い」とはこの事。

 

実際にやるのは、やらせてもらってるとか、体験するとかというレベルではないという事ですね。

 

やめておけばよかったとは思いませんでしたが、少なくても開業前に経験したことを100倍くらい勉強をしておけばよかったと思いました。

 

美容室はなかなか潰れない業種

 

原材料が他の業種より安いことと現金商売のため、当時はなかなか潰れにくい業種と言われていましたが、目前にいつも「閉店の看板」がいつもぶら下がってましたね。

 

とは言え、いつも試行錯誤の連続でした。

 

挑戦 挫折 成長 失敗 援助 解雇 再生 借金 裏切りと本当にいろいろ経験しました。

 

この時は3年半ほど休みがなかったですからね、よくやったもんだと思います。

 

 

無理は承知でしたが「やはりこうきたか」の展開でした。

 

当時はエステ業務を始め、店舗改装など勢いがある時でした。

 

いい相棒にも恵まれ、やっと軌道に乗りかけていたタイミングだったのですが、「手荒れ」に苦しむ始まりでもありました。

 

毎日が忙しく、夜遅くまでの営業で大変でした。

 

体力的には問題はなかったのですが、かなり手には無理をしていたと思います。

 

 

健康系サロン開店、手を使わない仕事へ

 

手の負担を減らすために、さらに業務を拡大しました。

 

エステ担当のスタッフが退職したのを機に、エステ業務は終了したのですが、酸素カプセルサロンとインターネット販売を始めました。

 

美容室以外の収益が見込めれば、手の負担が減ると考えたからです。

 

簡単にいくとは思いませんでしたが、やらなければ美容師が続けられなくなりと思い挑戦することにしました。

 

このあと大きな出来事が起こるとは知らずに・・・

 

 

東日本大震災と母親の介護

 

まだ皆さんの記憶の中にある東日本大震災。

 

計画停電による売り上げ低下、ホットスポットと呼ばれた放射能溜まり。

 

そして避難という名目で帰省された方が多かったため客数減少。

 

店舗経営って面白いですね。

 

売り上げが一度傾くと止まらなくなるんですよ。

 

食い止めるのが本当に大変でした。

 

この時に同じような経験をされた方は多いと思います。

 

そして同時期に母親の介護が始まりました。

 

 

休みを取るために店舗移転

 

美容室と酸素カプセルサロンと掛け持ちで経営し、毎週実家に帰る。

 

そんな生活が2年ほど続きました。

 

ここにきて酸素カプセルサロンがきつくなってきました。

 

おかげで、ほぼ休みがとれなかったので、結構堪えましたね。

 

倒れるわけにはいかなかったので、休みをとれる状態にするのが急務でした。

 

そこで行ったのが縮小による店舗移転。

 

これは今までの人生最大の緊迫した体験でした。

 

まるで綱渡り。

 

手の限界、体の限界、母親の限界、介護者の限界、返済の限界、店舗の限界など、いくつ限界が重なってたんだろう。

 

どれかが躓いたらすべて終わりという、なんかすごいゲームみたいでした。

 

 

手荒れと介護のため閉店

 

結果的には物凄い幸運も重なり、店舗を移転し縮小がうまくいく事が出来たので、少し休めるようになりました。

 

ただ体には相当負担があったみたい。

 

移転は計画を立ててから6ヶ月ぐらいの期間がかかったのですが、心的負担は移転するまでの2か月。

 

身体的負担は移転してからの4か月間ありました。

 

心的負担の2か月ですごく白髪が増えて、抜け毛がひどくなった。

 

身体的負担の4か月間の方ががきつくて、これも人生初めてなのですが、18時間労働がずっと続きましたから。

 

これでも「ろれつが回らない」「まっすく歩けない」「物をよく落とす」ぐらいの後遺症で済みましたから、まぁ良かった方だと思います。

 

それよりも手荒れがもう限界の状態であったほうが重大でした。

 

このあたりからですね、実家の事情も含め閉店させる気持ちが固まったのは。

 

 

手荒れと介護と後遺症

 

店舗移転から5年後、横浜のお店を閉店し(当時担当していたお客様が美容師になりお店を引き継いでくれました)千葉の実家に戻ってきました。

 

 

以下編集中

 

 

握力が無くなる
心的負担と慢性的な疲れ
めまいが今も続く

〇〇〇〇〇は断念

挑戦してないと退屈
一人で経営してたので、全部自分でやらないとならない
大変だったけど、経営していたほうが、楽しい

介護の終わりと遺産相続、
いつかは介護は終わる
残った美容室

ブログにも挑戦
ハサミが持てないからハサミを持たない美容師へ

人がきれいになるのは全てマインド

 

有限会社fantasista代表取締役
美容室マリアージュヘアデザインオーナー
美容室丸山美容室二代目
美容師
ヘアデザイナー
ヘアコンサルタント

しつもんコンサルタント
しつもん美容士